アピタ金沢文庫店閉店、館内の記録
〜 老 兵 、 最 期 の 姿 〜




 八景島シープリズンの地下牢に懲役されている源太郎ですが、
 お隣の金沢文庫でローカルスーパーが40年以上続いた歴史に終止符を打つ(閉店)、と聞いたので、
 遊びに行ってきました。

 閉店の理由は建物の老朽化が目立ち、お客様の安全を考慮して、建て替え工事をするためらしいです。
 以下、閉店30分前に駆け込み入店し、撮った写真となります。ゆっくりしていってね!


外観





入口付近



裏口付近



1階フロア



















2階フロア







3階フロア





エレベーター



4階フロア






---感想と、おもひで---

そんなこんなで、半世紀近く続いたローカル大型スーパーの閉店の模様でした。
私、この南横浜に住みまして、生まれてこの方20年になりますが、ずっとお世話になってきました。
辛い時、悲しい時、いろんな時がありましたが、そのどの場面でも、アピタ(旧ユニー)はそばにいました。

悲しいかな、この田舎にはユニーとダイエーしかスーパーがないのでありまして、
飲み食い読み書きするためには、必ずこのどちらかに通うことが多かったのです。
私は酔狂な性質でして、シープリズンに監獄されている身でありながら、
となり町にある、こちらのスーパーにも度々行っていました。

辛い時は、二階の休憩所で、お菓子を食べながら2ちゃんねる。
楽しい時は、四階の本屋で、漫画アサリ。
腹が減ったら、一階のラーメン屋で、250円のラーメンを。
暇で暇で仕方なかったら、四階の家電屋で、ローカル家電を拝む日々。

実に悠々自適な日々を送ってきました。

他にも、面白いローカルルールもありまして。
このアピタ、元はバザールでござーるのユニーだったのでありまして、
昔からいる地元民ほど、このスーパーのことを「ユニー」と呼ぶのです。
最近来た人ほど「アピタ」と呼びます。
新旧地元民の見分け方の一つとして、存在してました。

また、40年という長い歴史は近所にあったダイエーよりも長いのです。

ちょうど、20年以上前には、私の懲役されているシープリズン(金沢八景)付近にある横浜市立大学に、
平井堅がいらっしゃいました。
その当時(私の生まれる以前)は、今ほどベットタウンではなく、畑の多いど田舎、といった印象だったそうです。
そんな中、こんなど田舎の大学に通っていたわけですんで、まぁ通う場所と言ったら、想像に容易いです。
ご近所のスーパーです。
その当時、ダイエーは開発途中か、あるいはプランタンという前身でしたが、それ以外だと
二個くらいしかスーパーがありませんでした。
それを考えると、もしかしたら、このユニーに彼がご来店あそばされていたかもしれません。

また、閉店(2014.05)の昨年は、ジェロなんかが販促来てまして、まぁ、極稀に有名人が流れ込んできます。
ローカルスーパーながら、地味にすごかったりします。
なのでそんなスーパーだったので、思い出もそこそこいろいろあります。

閉店が決まり、実際に閉店セレモニー?に参加して、実に寂しく感じました。


30分前に入店したのですが、それはもう開店当初(知らないけど;)を彷彿とさせる混みようでした。
ここ数年見たことにない人間が駆け込んできていたのです。
その光景に圧倒されながらも、全フロアをいろいろ見て回りました。
閉店セールで閑散とした景色に虚しさが一層深まりました。
裏口には、重役っぽい人たちが人を出迎えており、いつもと違う様相のアピタは、本当の終焉を感じさせました。


本当の閉店時間が近づくと、人はどんどん一階に集まっていき、終わりをみんな待ちます。
ついに店員が列をなし、店長が前に出てきました。店長の挨拶が始まります。
そのときには、店内にいたほぼすべての客が集まり、最後のあいさつを見守っていました。

コミケのオープニング拍手のような、ハイテンションで人々は拍手し、終焉を惜しみながら、祝福しました。
その様子は、別ページの動画でw

すべてが終わった後、スタッフの一部は、マックで打ち上げをしていたようです。
その様子は、外から写真に収めてあります。上の写真を見てみてください。


なかなか、寂しくも、虚しい終わりでしたが、新しくなることを祝わなくてなりません。
数年後またリニューアルするようなので、その時までこの寂しさを抱えて行こうと思います。

ではでは、以上です。