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源太郎の自殺記録

2013|05|06|07|08|

2013-06-12 見えているものだけが真実じゃない


なんて言葉をよく耳にします。
が、どう見えているかなんてそれぞれ違っていると僕は思っています。
人は人の数だけ主観があります。その主観によって見えている情報に対する受け捉え方が変わってくると思います。
もっと言えば、人それぞれで視野が違います。(視覚情報の話ではありません。自分に降りかかる出来事に対しての捉え方の話です。

恥ずかしい話ですが、今更になって自己分析もどきをしていますが、いかんせん自分にある素晴らしいモノというのが全く見えて来ません。
自分が見えていないというのを自覚するのは恐ろしいことです。
結構な割合で自分が見えた人が就職している気がしますが、僕はその自分すらよく見えない。
何でもいいから見つけてみろと言いますが、見つけられることと言ったら、瑣末で愚鈍でクソ以下の自分自身だけです。
自尊心が低いのはかくも辛いことだとは思わなかったです。参った。

はじめに戻りますが、その人が見える範囲が狭ければ狭いほど、今見えているモノが真実から遠のいていると言えます。
表現が難しいですが、結局、広く眺めようという心構えがないと、見ている情報以外にも目を向けることはできないと思うのです。
だって、今見ているモノが少ないというのなら、知らないことのほうが多いのだから。
知っていることが少なければ、真実が何かを考察することもできません。判断材料が少ないから。

だからこの言葉はその補足がないから嫌いです。
もっといろんなことに目を向けて初めて、真実が何か知れるようになると思います。
最近している自己分析と言う名の自問自答でそれがわかってきました。自分はあまりに軽薄で、世間知らずなのかを。
見ている景色があまりに狭すぎる。だから自分すら見ることができないのだと。


なんだかしみったれた詩みたいで恥ずかしいですが、とりあえずもっといろんなことを経験するようにこれからは頑張って行きたいと思います。
日々反省、日々恐縮な源太郎でした。

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